本名;近野 朗生(ちかの はるお)

芸名;スカンクちかの  ( SKUNK C )

現在のスカンク
期間限定!ジョー・クラウンと一緒に
Joe(左から2番目)、Skunk(右から2番目)、撮影してくださったsumoriさんに感謝!

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略歴

高校時代のスカンク 1958年6月26日 福岡県久留米市に生まれる。松田聖子・藤井フミヤとの関係は単に出生地が同じである。1959年11月横浜に移住、以来横浜在住(生っ粋の浜っ子でないことが汚点だと思っている)。
 小中学校の頃は模型ばかり作っていた、飛行機が大好きな小僧であった。音楽はC.C.R.にはまる。高校時代よりテニスを始める。また、ロックバンドを結成し、イアン・ギランやロバート・プラントになったつもりで歌い出す(でもルックスがまるでなってない)。
大学時代のスカンク  大学時代は、朝からコートでローラー(いわゆるコンダラですな)をかけ、テニスの合間に講義に出る生活であった。その割にはテニスは上達しなかったのが不思議である。一方で、本格的にブルースと出会い、バンドを結成する。山手線の外側のライヴハウス(ぐぁらん堂とかElectric Uzuとか、猫屋敷などではアコースティック・ブルースもやった)に何度か出演。ヴォーカルとハープを担当していた。英語が苦手なので、日本語で歌詞をつくって唄う。だから憂歌団は好きだ。
 ゼミは地理専攻で、地域性重視のゼミだったため、横浜スタヂアムに横浜大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)が来たため、ゼミぐるみで横浜ファンになる。ちなみに卒論のテーマは「沖縄の土地問題」(かたいなあ)。
 1981年高校の教員となる。専門は社会科(地理)。でもテニス部の顧問としての方が仕事しているかもしれない。バンドの方は仕事が仕事(と、当時はまじめに考えていた)なので、ヴォーカルはやめ、ギターの修行に入る。いくつかのバンドで、もっぱら住民運動系のコンサートに出ていた(久保講堂に出たのが良い思い出)。でも、どうしても唄いたくなり、1985年、ついにThe Hot Watts を結成する。また、バッド・インフルーエンスというバンドが自主制作CDを出すときに、1曲ハープを吹かせてもらう。今のところ正式にリリースされた唯一の自分の音である。ちなみに「スカンクちかの」という芸名は、バッド・インフルーエンスの「山鉄」がつけてくれた。要するに「臭い音楽をやる臭い奴」という意味だそうな。誉められたわけではないが、けっこう気に入っている。
 旅行は元来好きであったが、1985年頃から北海道旅行にはまる。おかげで担当した学年の修学旅行はすべて北海道であった。1987年幸運にも結婚、1女1男の父となる。現在磯子区に居住。朝はキリマンジャロで覚醒し、夜は麦100%ビールとジン・ビームで酩酊する。蒼いレガシーに乗って、がんがんブルースをかけながら横浜新道や環状2号を走る、丸顔のメガネ男がいたら、それが僕だ。
 (写真は上から 現在 高校時代 大学時代)