スヌークス・イーグリン

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T-シャツの図柄

 僕がスヌークスの音に初めて触れたのは、15年くらい前に購入した IMPERIAL 原盤のコンピ「The Rhythm In Rhythm & Blues」の中の1曲「アイヴ・ビーン・ウォーキン」であった。Ford Eaglin の名で収録されていたこの曲、ほわっとしたヴォーカルのうしろで、えらくスペイシーなギターが飛び跳ねていたのを記憶しているが、アール・キング目当てで買ったLPだったので、そのころはチェックしていなかった。ところが実は、スヌークスの名前は、その前に見ていたのだ。サム・チャーターズ著「ブルースの本」(小林宏明訳 晶文社 1980)に、「弦をとびかう指」というタイトルで、スヌークス・イーグリンについて、詳しく書かれていたものを、読んだことがあったのだ。ところが不覚にも、文中に Ford Eaglin の由来まで説明されていたにも関わらず、同一人物だとは気づかなかったのだ。しかもその本を読んだ1981〜2年は、僕が特にシカゴ・ブルースなどのヴィンテージ物に凝っていた時期で、1960年前後のフォーク・ブームの中で「再発見」されたブルースは敬遠していたのだ。「大学の先生が弾き語りをストリート・レコーディング」なんてことが書かれていると、当時は「これは僕の趣味じゃないな」と、頭が勝手に判断してしまっていたのだ。だからまったく結びつかなかった。
BSR6  ところが、1991年ごろだったか、たまたまCDを漁っていたとき、BLACK TOP の「Out Of Nowhere」の真っ赤なジャケット(僕は赤に弱いらしい)が目に飛び込んできたのだ。ギターを構えたクールそうなサングラスの男に惹かれ、即購入、そしてプレーヤーにかけると、切れ味のいいギターと、ほんわかした歌!僕は完全にはまってしまった。さらに1992年に出たニュー・オーリンズ・コンピ「Gumbo Ya-Ya vol.2」にIMPERIAL 時代の「トラヴェリン・ムード」が収録されており、このギターを聴いて、すべての合点がいった。以来、CDショップでスヌークスを見かければ購入していった。
 前置きはこのくらいにして、スヌークス・イーグリンを紹介したい。本名を Fird Eaglin というスヌークスは、1936年*11月21日、ニューオーリンズ生まれ。1歳半の時脳腫瘍を手術、一命は取りとめたが失明してしまう。5才の時、父親からギターを与えられたスヌークスは、ラジオやレコードから流れる音楽で、気に入った曲があれば片っ端から弾いていくようになり、自宅でアセテート盤に録音したりして腕を磨き、11才の時、地元ラジオ局のタレント・コンテストで優勝する。翌年フラミンゴスというローカルバンドに加入(ピアノは13才!のアラン・トゥーサン)、流行りのダンス・ナンバーやカリプソ、C&W までレパートリーをひろげていく。こうして2,600曲以上のレパートリーを持つ、「人間ジューク・ボックス」スヌークスが生み出されていく。1953年には、シュガー・ボーイ・クロフォードの CHESS 録音に参加、有名な「ジョック・ア・モー」(アイコ・アイコ)などでバッキングをつけている。フラミンゴス解散後は、自分のコンボを持って演奏していたようだが、詳細は謎である。1956年のスマイリー・ルイスのヒット「ダウン・ヤンダー」のギターを弾いたと1995年来日時のライヴでの曲紹介で本人がいっているので、聴き直してみたが、どうだろうか。可能性はある。ストリート・ミュージシャンをしていたというハリー・オスターの説があるが、本人は否定している。想像するに、たまたま店の軒先でギターをつま弾いていたのが、そう受け取られたのか、はたまたフォーク・ブームの中でオスターが「ストリート・ミュージシャン」に対するフィールド・レコーディングというイメージを押し出すための作り話ではないだろうか。そう考えないと、1958年〜63年のレコーディングの内容の落差が説明できない。
Mardi Gras In Baton Rouge  さて、1958年にスヌークス・イーグリンを「発見」したルイジアナ州立大学のハリー・オスター教授とニューオーリンズ・ジャズ資料館館長リチャード・アレンは、1960年にかけて、計7回の「フィールド・レコーディング」を持っている。生ギターや12弦ギター、さらにルシアス・ブリッジズのワッシュボードやパーシー・ランドルフのハーモニカを加えた演奏は、時の「フォーク・ブーム」に呼応した、「伝統文化」の継承者としてスヌークスを位置づけようという、制作者側の意図が大きく反映されている。しかし、考えてみればすぐに分かることだが、スヌークスは、同時期に「発見」された多くの「フォーク・ブルース」ミュージシャン、例えばロバート・ピート・ウィリアムスやフレッド・マクダウェルなどとは決定的に異なる点があった。年齢である。スヌークスは2世代近く若く、しかもニュー・オーリンズという都市で育った。彼はラジオやレコードといった商業的なメディアから音楽を覚えていった。したがって、スヌークスのレパートリーは、ブルーバード・ビートのブルース、T-ボーン・ウォーカーから、レイ・チャールズ、ニュー・オーリンズのダンス曲、はてはフラメンコまでと幅広く、音楽的スタイルも、スヌークス節ともいうべきトリッキーなギター奏法こそあるものの、これらの録音から伝統・あるいは伝承的な「何か」を見つけることは難しい。むしろ巷のヒット曲を演奏する、街のミュージシャンと考えた方が近いように思う。ただし、ギターのテクニックについては、この弾き語り中心の録音でも、随所にその非凡な才能を感じることができる。
Houseparty New Orleans Style  1960年代に入ると、フォード・イーグリンの名義で、デイヴ・バーソロミューのプロデュースにより、IMPERIAL にいくつかの録音を残す。フランク・フィールズのベース、ジェームズ・ブッカーのピアノ、さらに曲によってはブラス・セクションを従え、R&B 色の強い、いかにもニューオーリンズといった数々のレコードは、当時のスヌークス本来の姿を捉えたもので、現在の BLACK TOP 録音に直接つながっていく。あいにく大きなヒットはなかったようで、以後スヌークスはこの時期に結婚した妻ドロシアの勧めもあって、第一線から身を引いていく。おそらく「フォーク・ブルース・シンガー」としての白人マーケットからの録音依頼は続いていたであろう。しかしマネージャーでもあったドロシアは、それらの録音に疑問を持ち、断っていたようだ。以降60年代は、ときおりプレイボーイ・クラブに顔を出したり、旧友プロフェッサ・ロングヘアと一緒に演奏するくらいになっていった。
afro hair  1970年代に入って、状況が変わってくる。ニュー・オーリンズ・ジャズ&ヘリテッジ・フェスティバルの仕掛人、クウィント・デイヴィスが彼を再び表舞台へ引っ張り出したのだ。1971年6月に弾き語りで録音された物が、スウェーデンの SONET から出された。先に紹介したサム・チャーターズの本は、この SONET のシリーズとタイアップしている。また、同じ頃スヌークスはプロフェッサ・ロングヘアのバックでレコーディングしており、2枚のCDにまとまられている。しかし何より驚くべきが、1973年のワイルド・マグノリアスのデビュー・アルバムでのギター・プレイだ。のっけからワウを踏んだギター・カッティングでクールに決めているのがなんとスヌークスなのだ!本当かよ?と言いたくなる。まあ、何でもやる人だからと思えば納得もできるが。マグノリアスのアルバムには、1990年の「I'm Back...At Carnival Time!」にも参加しているが、こっちはいつものスヌークスだ。
 1977年にはサム・チャーターズがプロデュースして、SONET から2枚目が出された。「ブルース・アンド・ソウル・レコーズ」(以下BSR)No.6の中の文屋章氏の表現を借りると「思いっきりセカンド・ラインするリズム隊だが、ファンキー調ではなくディキシー調の軽やかなノリ」をバックに、「ゆったりとしたスヌークス」を聴かせる作品だそうだが、いまだにCD化されていない。幸いにもKO-1さんのご厚意により、音を聴くことができたが、張りのあるヴォーカルと、ジャズ・フレイヴァーの漂うバックが見事に絡み合った好盤だ。一刻も早いCD化を望みたい。
The Wild Magnorlias  そして、スヌークス第二?の黄金期は、1987年、BLACK TOP 移籍第1弾から始まる。スヌークスの良き理解者で、BLACK TOP をコンテンポラリー・ブルース・レーベルの代表のひとつに押し上げたハモンド・スコットの下、スヌークスは、のびのびと、縦横無尽に唄い、演奏する。BLACK TOP からの4枚のスタジオ・アルバムはどれも素晴らしいできで甲乙付けがたいが、僕は元ミーターズのジョージ・ポーター・ジュニアをむかえた1991年以降の作品が、やはり気に入っている。ジョージの尊敬と愛情溢れる好サポートにより、スヌークスは正に水を得た魚のような演奏を繰り広げる。また、旧来からの友人で、レーベル・メイトのアール・キングのアルバムにもゲスト参加するなど、特に90年代前半は正に破竹の勢いであった。日本でも、BSR誌上での吾妻光良氏による招聘運動などもあって?か、ついに1995年パークタワーに登場する。
I'm Back...At Carnival Time!  1995年12月6日、僕はバンド連中とスヌークスの来日初公演を聴くべく新宿にいた。席は中程。軽く一杯やりながら、ファンキーだが暖かいリトル・サニー、矍鑠たるおじいちゃんぶりを見せてくれたロックウッドを楽しんだ後、いよいよお目当てのスヌークスの登場だ。興奮状態で当時の曲順など何も覚えていないが、1曲目は「ショウ・ミー・ザ・ウェイ・バック・ホーム」ではなかっただろうか*2。そのカッティングの切れ味!双眼鏡を取り出して彼の右手を監察すると、これは!!!バンドのギター、シンヤに見せると一言「デコピンだ!」。以来僕はスヌークスの奏法をデコピン奏法と呼ぶことにした。この夜は大興奮で大虎になって帰ったため、感動だけが記憶に残るというお粗末なことになってしまったが、幸いにもライヴ・アルバムが発売されたため、感動を追体験することができた。そして半年あまり後、スヌークスがまた来日すると言うではないか!それも横浜で公演!矢も盾もたまらず、僕は受話器を取ってダイアルしていた。
Hard River To Cross  1996年8月1日。横浜は新山下にあるブルース・カフェ*3、あのジョニー・ギター・ワトソンが燃え尽きた店だ。その日は花火大会で、街には浴衣のお姉様達がたくさん。僕は仕事が早く上がれるので、開演2時間前には店に着いていた。整理券は8番、シンヤ、フクチャンと待ち合わせて店に入る。前半は椅子がとっ払われていた。最前列右の好位置をキープ!いよいよ開演だ。
 店の中央には、常連らしい若者(スヌークスのことはよく知らないらしい)が、上半身裸になって騒いでいたので、隣のスヌークス・ファンらしい女性が随分迷惑していた。おかげで後半は椅子が並べられた。しかし、僕等はそんなことはお構いなし。あの、スヌークスが眼前にいるのだ!曲はいつものように、何が出るか分からないスリル満点の選曲であった。シカゴ・ブルースまで飛び出していた。いつしかいい気分になった僕は、前半終了後、トイレに立った。すると何と!そこには、ジョージ・ポーター・ジュニアに手を引かれたスヌークスがいるではないか!隣の便器で用を足す。連れションじゃあ!でも、目の見えないスヌークスにサインは頼めない。残念。
Blues After Sunset  さて、スヌークスのギター奏法をつぶさに見ることができたので、お教えしよう。スヌークスは、親指で低音、人指し指で高音のメロディを弾く。この指はめちゃくちゃ速い!しかしここまではさして特殊ではない。問題はコードを切れ味良く鳴らす指使いだ。吾妻光良氏は、BSRNo.6で図解入りで想像していたが、まったく違う。スヌークスは、人指し指とは別に、中指以下の指でコード・カッティングをしていたのだ。それも、手をグーからパーにする要領で、指の爪の甲で弾いていたのだ。正にデコピン!でも、その間人指し指は縦横無尽に動いて、ソロを弾くんだよなぁ。あいた口がふさがらなかった。凄すぎる。
 かくして約二時間満喫した。ジョージの落ち着いたベース・サポート。いつもスヌークスの様子を注視していて、メンバーにアイ・コンタクトする。また、ときおりスヌークスになにやら耳打ちする。「最前列にカワイコチャンがいるよ」そんな感じかな?スヌークスがにやっと笑う。ステージはこのような感じで進行した。そしていよいよアンコール。キーボードプレイヤーが苦笑い「本当に演るのか?」と言った感じ。そして始まった曲は!スティヴィー・ワンダーの「ブギー・オン・レゲエ・ウーマン」!僕は思わず隣のふたりと顔を合わせ、あんぐりと口を開いてしまった。「恐ろしいおっさんや」。
 最後に、スヌークスの名前の由来はというと、アメリカで昔やっていた、「ベイビー・スヌークス」と言うラジオ番組の、いつもトラブルに巻き込まれている主人公の名前から、いたずら好きの彼に皆が付けたんだそうだ。本当にいたずらが好きな人だ。1998年にはヘンリー・バトラーのアルバムに参加して、健在ぶりを示していた。早く新作を出して、僕らをあっと言わせておくれ!



*1 前掲「ブルースの本」では、1937年になっているが、BSR No.8の吾妻氏らによるインタビューから考えると、1936年が正しいと思われる。
*2その後3曲目と判明。sumoriさん、感謝!
*3 現在は閉店した。なお、この時のバックステージの様子は「ブルース銀座」のこのページで。



画像は上から
  • 1996年来日時に販売されたTシャツの図柄。色はもっと青く、結構おしゃれ。
  • ブルース・アンド・ソウル・レコーズ No.6 (ブルース・インターアクションズ 1995)このころのデザインは渋くて良い。
  • Professor Longhair ; Mardi Gras In Baton Rouge (RHINO/BEARSVILLE R2 70736)強烈な顔!
  • Professor Longhair ; Houseparty New Orlins Style (ROUNDER CD 2057)フェスの後はスヌークス?
  • 上のCDのスリーブから。スヌークスの頭に注目!アフロか?
  • The Wild Magnolias ; The Wild Magnolias (POLYDOR/CHRONICLES POCP-2317)刺繍のようだ。
  • Bo Dollis & The Wild Magnolias ; I'm Back...At Carnival Time! (ROUNDER CD 2094)これも大迫力の顔!
  • Earl King ; Hard River To Cross (BLACK TOP CD BT-1090)クールなジャケットだ。
  • Henry Butler ; Blues After Sunset (BLACK TOP CD BT-1144)御覧の通り、バトラーも盲目。でも見事なコンビネーションだ。

  • 参考文献は、本文中に紹介された記述および各CDのライナーノート

    Special Thanks! sumoriさんのブルース銀座には、パークタワーのライヴ紹介(演奏曲リスト付き)と、ニュー・オーリンズでのライヴの様子があります。ご覧あれ!


    1958年〜70年代のCD


    BLACK TOP 時代以降のCD