札幌発旅人通信 2004年春 第15号

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 二冬続けての暖冬で、本州から四国、九州各地は、もはや桜が満開のようですね。テレビをつけても、ラジオをつけても、流れてくるのは、春の話題ばかり…でも北海道は、まだまだ冬から脱しきれていません。皆様は如何お過ごしでしょうか?
 そんな北海道でも、春は近付きつつあるようで、先日、札幌管区気象台の積雪観測点の積雪が0になったとの報道。暖冬の影響か、札幌では3月半ば位からまとまった降雪は殆どなく、雪融けは急ピッチで進みました。観測点の積雪0から6日間、新たな積雪が観測されなければいわゆる"根雪終息"が宣言されるそうで、雪の季節からの脱却は、もはや秒読み?
 しかし、その先が結構長いのです。雪がなくなっても、すぐに新芽吹き花咲くというわけではなく、概ね半月程度かそれ以上は、彩り乏しい埃っぽい日々が続くのです。
 似たような季節感は、秋の終わりにもありますが、落ち葉散り行き、雪の白が次第に広がるのと比べれば、春の始まりは、およそ色彩に乏しく、北海道が一年で最も、彩りを失う時季ではないかとも思います。
 今号は、過ぎ去りし冬と、そして迎えつつある春の話題を織り交ぜ、お届けしたいと思います。

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 シリーズ岬を巡る道

 第七回 道北の、流氷押し寄せる小さな岬

 流氷を訪ねて、オホーツク沿岸へ向って旅立った。札幌から国道275号線と12号線、旭川からは40号線を辿り、内陸の街、名寄へ。これといった特徴には乏しいが、盆地ゆえ、冬は厳しい冷え込みにしばしば苛まれることで知られる町で、そこからはオホーツク沿岸の興部町へ、国道239号線が延びている。かつては、名寄から興部、紋別を経て遠軽まで国鉄名寄本線が伸びていたが、平成元年に廃止されてしまった。名寄から興部へ向かう道は、随所にその"鉄道遺跡"を偲びながらの道程でもある。
 名寄市から下川町、西興部村を経て興部町へ。山間の宇津地区から国道を逸れ、雄武町沢木地区へ続く道道を辿る。上り坂のピークを過ぎると、遥か前方にはオホーツクの水平線が広がる。最初に目に入った南東方向は、ただ青い水平線が広がるばかりだが、北東方向の沖合いには、明らかに"それ"とわかる白いものが漂っていた。自身にとっての2004年最初の流氷は、2月13日、雄武沖に漂うものであった。
 坂を下りきると国道238号線に突き当たり、左折。そのやや先で沢木漁港方向へ右折して坂を下り、突き当たった人気のない港からは海岸伝いに坂を上がると、間もなく日の出岬へ辿り着く。やや雲があるものの、晴天に恵まれた岬の突端に建つ"ラ・ルーナ"と名付けられたガラス張りの展望台は、無人だが、センサー感知で自動的に音楽がスタートする。演歌歌手の城之内早苗が自作したという"北の岬"という歌で、ややポップス調の演歌、といった趣である。北の小さな岬には不釣合いとも思えるデラックス展望台ではあるが、なにぶん本当に小さい岬であるため、もしそれがなかったら、岬というより、ただの岩の張り出しにしか見えないかもしれない。岬の存在を示すアクセントとしては、それなりの効果があるようだ。
 ポップス調演歌を聞きながら、ガラス越しの展望台から沖に浮かぶ流氷を望むのも、悪くはないシチュエーションである。そして、一面の流氷に覆われた姿もまた良かろうと、その姿を脳裏に思い描いてみたりもする。天気予報では、明日、明後日と北風が強まるので、オホーツク沿岸の多くで、流氷接岸となるであろうとのことだが…
 それから数日を網走付近で過ごすが、そちらでも流氷は沖合いにしか見られず、いつになく流氷接近の遅い冬のようである。しかし2月15日夜は、激しい東からの風。この分だと、明朝には接岸もあろうと、期待を抱いて眠る。 翌16日、小清水町止別の海岸は、予想通り一面の氷に覆われていた。釧網本線を行く流氷ノロッコ号の客も、この景観には満足のことだろう。同時に、昨日までの客は気の毒に、とも思う。こればかりは、まさに"風まかせ"のものであり、人の力ではどうすることもできないのだか。
 午後、国道238号線を北上する。紋別付近では一旦流氷は沖へと遠ざかるが、夕刻に辿り着いた日の出岬は、沖までびっしり、という状態でこそなかったが、海岸一帯は氷に閉ざされていた。この2月の流氷を訪ねる旅は、日の出岬に始まり、日の出岬に終わる…当初から考えていたわけではないが、そういう結果となるのであろうか。
 岬の突端からやや離れた高台には、町営の「ホテル日の出岬」がある。北の小さな岬にはやや過分とも思える、鉄筋6階建てのデラックスな施設だが、グレーを基調とした外観は、周囲の風景と不思議とマッチしている。町外からの宿泊客、町内や近隣町村からの宴会、会合客、そして温泉の日帰り客で、結構な賑わいようである。
 ここの温泉浴室は海を見下ろす位置にあり、湯に浸かりながら、流氷の海を眺めることができる。オホーツク沿岸には少なくない数の温泉があるが、湯に入りながら海が見られるところは少ない。ここはその少ない中の一つで、これまでにも2、3月を中心に足を運んできたが、先にも記したように流氷の接岸は風まかせでもあり、期待したような流氷の海ではなかったことも間々あった。しかしこの日は、ほぼ期待通り、流氷押し寄せた海を露天風呂の湯に浸かって、眺めることができた。頭が外気に晒されている露天風呂は、のぼせることなく長湯ができるのもいい。次第に暮れなずむ中、温泉に浸りながら、流氷のオホーツク海の眺望を満喫したのであった。
 一夜が明けると、流氷はやや沖へと遠ざかっていた。しかし、海原のところどころに、あるところには密に、そしてあるところでは疎らに氷が散る姿も、悪くない。ここから、流氷を追って北へ向かうのか、或いは踵を返して内陸へ向かうのか。答えはなかなか出そうにない。水平線を見つつ、車の中で落としたコーヒーでもすすりながら、ゆっくり考えることにしようか…(完)
(サッポロタウンハイク、北海道廃線探訪は休みます)


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 連載 湯めぐり紀行 新聞記事編

 「温泉掘りすぎて枯れちゃう!?」「温泉情報 隠さず正しく」

 

 先日、温泉についての気になる新聞記事があったので、今回はそれらを取り上げてみたいと思う。
 一つめは、3月17日付読売新聞の「温泉掘りすぎて枯れちゃう!?~札幌市中心部~」という記事で、それによれば、温泉の開発ラッシュが続く同市中心部の源泉を保つため、南区、手稲区などの山間部を除く平野部のほぼ全域を対象に、既存源泉から五百メートル以内での温泉掘削が規制される方針が固まった、というものである。
 市平野部には、3月16日現在で許可源泉が53箇所あり、そのうち札幌駅から5キロ以内が19箇所に上るという。市内の温泉については、本通信第五号の小欄でも取り上げたが、定山渓などの山間部を除く平野部では、特に中央区に温泉施設が集中していることがわかる。
 近年ではさらに、"天然温泉付き"を売りにしたマンションの分譲が続いている。狸小路商店街やススキノに近い南四条通り近くの、それまで駐車場だったところにある日ボーリングの櫓が立ち、「温泉掘削中」の看板が掲げられた。場所柄、ホテルかサウナでも出来るのかと思っていたら、そこに完成したのは大型の温泉付き分譲マンションであった。これ以外にも中央区内では、同区役所近くや桑園地区に、温泉付き大型分譲マンションが出来た。昨年開業した札幌駅のJRタワーに入るホテルも天然温泉をセールスポイントの一つにしているし、北大植物園近くにあった中規模シティホテルは、昨年ホテルをやめ、全面改装して日帰り温泉施設に生まれ変わった。かように札幌平野部は、「掘れば温泉が出る」と言われるほど湯量が豊富なのである。
 しかし、道の昨年度の調査では、対象24源泉のうち19箇所までが掘削時より湯温が低下しており、うち7箇所は10℃以上低くなっているという。さらに温泉の水位低下も目立っており、今回の規制となったとのことである。
 この規制により、長期的には資源保護が図られる一方、今後半年から一年と予想される施行までの期間には、新規開発の駆け込み申請も予想されるという。乱開発に歯止めを掛けることは必要だが、結果的には既存業者保護になる一面もあり、その点では問題をはらんでいると言えなくもない。
 中央区一帯は場所柄地価が他地域より高く、土地所得を含めた建設費が高くつき、またテナントの場合は賃料が割高なことから、既存の温泉施設は大半が日帰り入浴で千円前後かそれ以上と、高めの料金設定となっている。一般市民にとって足繁く通える料金ではない中、先に述べたホテルから転業した施設は、公衆浴場料金(三百七十円)というのが大きな売りであったが、規制により、こうした"大衆料金"の施設が誕生しにくくなれば、庶民には残念なことである。

 もう一つの記事は、同じ3月17日の北海道新聞のもので、「温泉情報 隠さず正しく~経営者らNPO法人旗揚げ~」という題目で、加水しているのに広告で「天然温泉100%」をうたうなど、温泉施設の不適正な表示が目立つとして、静岡、山形などの温泉施設経営者ら約六十人が参加し、「源泉湯宿を守る会」を設立したというものである。
 公正取引委員会は昨年8月、加水したり濾過循環をしているのに、「天然100%」「源泉そのまま」などと表示するのは消費者の誤解を招くとし、温泉業界に表示の適正化を求めている。そのため同会では、
 「消費者の厳しい目が向けられるのは、温泉も例外ではない。信頼できる表示で、施設のステータスを高めたい」
 とし、特に浴槽の湯の情報公開に力を入れたい意向という。
 温泉法では、源泉の成分・効能の提示が義務化されているが、浴槽への給湯量、温度、給湯方法などの表示は求められていない。同会では、源泉イコール浴槽の湯ではないケースも、はっきり明示すべきだ、と独自の表示方式を会員に普及させる考えだという。
 こうしたNPO法人が設立された背景には、温泉法に措ける情報開示義務が不十分な結果として、加水や濾過循環を当たり前に行う"ニセ温泉"まがいの施設がはびこり、結果として利用者からの信頼低下を招き、さらには真っ当な施設まで色眼鏡で見られかねない、という業界レベルでの危機感があるようだ。
 筆者自身の体験として、天然温泉をうたっていながら、浴室に足を踏み入れた途端、強烈なカルキ臭が鼻を衝いた施設がある。カルキ臭の源は塩素系消毒剤で、濾過循環装置を使用する場合、滅菌のために一定量の消毒剤の添加が義務付けられている。その匂いが浴室中に充満するとなれば、相当な長時間、濾過循環を繰り返された湯であることが疑われる。そういったお湯で、果たして温泉の効能が期待できるのか、甚だ疑問である。
 そのような中、業界自らが積極的な情報開示へ動き出したことは、大いに評価できよう。同会では今後、全国一の温泉地を抱える道内をはじめ、全国の温泉施設に参加を呼びかけるという。この動きが拡大し、情報を積極的に公開する温泉施設が増えれば、敢えて公開しようとしない施設は利用者の厳しい目に晒されることになり、加水や濾過循環を積極的に廃する動きに繋がる期待も持てよう。
 同会員になった山梨県の旅館では、浴槽ごとに「ここは毎分18リットル給湯」「気温に合わせて熱交換による温度調整を行っている」などと詳細に表示したところ、お湯談義にも花が咲き、利用客に好評だという。ありのままを包み隠さないという、当たり前のことが評価されるというのも妙なことではあるが、"温泉"と名が付けば客が集まった時代は終わり、利用者の目がそれだけ肥えた時代になったということであろう。
 温泉の情報提供のあり方をめぐっては、昨年8月に環境省が識者らによる「温泉の保護、利用懇談会」を設置、今年6月にも中間答申をまとめるという。また日本温泉協会(東京)では昨年1月、温泉の天然度を五つの基準で判定、看板で明示する制度を導入したが、提示しているのは全国で268施設(うち道内9施設)にとどまっているという。
 環境省、温泉協会、そして今回起ち上がったNPOと、それぞれ違ったレベルではあっても、積極的な温泉情報開示の方向へ向かっていることは大いに評価できる。願わくば今後は、それぞれが縄張り意識的なものを持たずに足並みを揃え、連携して情報開示へ動くことが期待されよう。それが、粗悪な温泉施設を"駆逐""退場"させることにもつながるのだから。(完)


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 北海道食べある記(グルメ情報)

 春を告げる魚、鰊(にしん)を食す

 この春、北海道の日本海やオホーツク沿岸では、鰊が、近年ではかつてないほどの豊漁に沸いている。近年では、と付したのは、周知の通り、明治から昭和20年代にかけては、鰊は北海道沿岸漁業の中核をなす魚であった。日本海沿岸の各所には、「鰊御殿」と呼ばれる立派な番屋が立ち並び、漁期の春を迎えると、全道はもとより本州方面からも"ヤン集"と呼ばれる出稼ぎ人が集まり、浜は大変な活気に溢れたという。
 だが、本道沿岸に回遊する鰊の群れは年を追って減少し、昭和30年代半ばを最後に、本道における鰊漁は途絶した。以後、国内で消費される鰊はその殆どが輸入物となり、江差、小樽、小平などに残る「鰊御殿」のみが、往時の鰊漁の賑わいを伝えている。ところが昭和60年代に入ると、少数ではあるが、北海道沿岸に鰊が戻り、"地物"が市場にも出回るようになった。むろんそれらのほとんどは道内で消費されるにとどまり、国内消費の大半は依然輸入物であることは、今をもって変わってはいない。
 しかし、鰊の漁獲高はその後も増加傾向にあり、平成11年には、留萌市礼受地区で、45年ぶりという"群来(くき)"が見られた。鰊は、産卵のために沿岸に近付くと、身体に触れる海藻類に卵を産み付ける習性を持つ。このため鰊の大群が押し寄せると、産卵された卵めがけてオスが放つ精子のために、一帯の海面が白く濁ることを"群来"と呼ぶ。かつては浜に春を告げる風物であったというが、鰊の回遊が途絶えて以来、群来も長い間見られなかったのである。
 そしてこの春は、3月早々から全道各地で豊漁が続き、小売店の店頭にも、手頃な価格の鰊が並ぶようになった。留萌管内の増毛漁協の水揚げは、3月上旬で早くも二百トンを超える勢いで、これは漁獲高で昨年の百倍、取扱金額でも二十倍という"豊漁"だそうだ。日本海全体でも、当初見込みの最大三百二十トンを大きく上回り、最終的には一千トンを超えそうだという。むろん、最盛期の昭和二十年代には遠く及ばぬ数字ではあろうが、鰊が"大衆魚"として市場に出回ることは嬉しい限りで、安くて鮮度のよい鰊を、食べないで過ごす術はない。
 だが、長く漁が途絶えていたせいか、全道を見渡しても、"鰊料理"を売りにする店の情報は、皆無に等しいのが実情である。本州各地で、"鰯料理"の専門店を見かけるのとは対照的である。むろん魚料理の店や居酒屋に行けば、焼き物メニューにニシンの文字を見つけることはできるが、その大半は丸干しか開きの干物であり、かつよほどの高級店でない限り、それらは輸入物であろう。
 然らば、ここは一つ、自家製鰊料理に挑戦してみることにしよう。店頭での価格は百グラム当り百円前後と手頃で、一尾当りでは、大ぶりのもので百五十円から二百円強程度、小ぶりのものなら百円前後となろうか。ちなみに、オスとメスを分けてある場合は、当然数の子を持っているメスの方が割高となる。
 まず、鮮度のいいもので刺身をためす。鱗が多いのでそれを洗い流すのには一苦労するが、身は軟らかく、三枚おろしにするのは簡単である。身には脂があり、鰯に似た感じの食感だが、脂はあっさりした感じで、白身の魚に近い感じがする。酢で〆るという一手間を加えると、身が驚くほど弾力を帯び、また違った食感が楽しめる。いずれもワサビ醤油で頂くが、刺身はショウガ醤油でもよく合う。
 続いては塩焼きにする。数の子持ちのメス、白子持ちのオスいずれも、火加減がなかなか難しい。加熱が足りないと子が生焼けになり、火を通し過ぎると硬くなってしまう。子の内側がレアな焼け具合に仕上がるのがよく、さらにオスとメスとでもそのあたりの火の通りが微妙に違うのでなかなか難しいが、うまく焼けた時の子は、どちらも絶品である。身は軟らかく、くせがない。小骨が多いので、箸使いの不得手な人は難渋するかもしれない。
 そして、三平汁にも挑戦だ。昆布で取った出汁で、キャベツ、タマネギ、ニンジン、ジャガイモ、大根などを茹で、肝心の鰊は、最後に入れた方が、身崩れが少なくいいようである。三平汁は塩仕立てが基本だが、酒粕を使い、最後に塩で味を調えてみた。鰊のくせのない身と野菜のほのかな甘味は粕との相性抜群で、これが実にいける。鰊は、子持ちを豪快に入れたいところだか、煮ると数の子は硬くなるので、煮込んでも弾力のある白子持ちのオスのほうが食感では上回る。これは、実際に料理をしてみての"発見"である。
 長く日本沿岸から遠ざかり、数の子以外では、そばや漬物に使われる身欠き鰊くらいでしか食卓には親しみがなかった鰊であるが、道立稚内水産試験場では資源増大プロジェクトに取り組んでおり、今後は稚魚放流、産卵場の造成、資源管理などを行っていくという。これらにより鰊の回遊が定着し、かつてのように"春を告げる魚"として、春の北海道沿岸を、毎年のように群来で白く染めてもらいたいものである。(完)

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 旅人コラム

 "313"JRダイヤ改正に寄せて

 

 去る3月13日、JRグループのダイヤ改正が実施された。今改正最大の目玉は、九州新幹線新八代〜鹿児島中央(西鹿児島より改称)間の開業であろう。これにより、博多〜鹿児島中央間の所要時間は、従来の3時間50分から2時間10分に短縮された。これまで同区間を結んでいた特急「つばめ」は、博多〜新八代間を結ぶ「リレーつばめ」となり、新八代〜鹿児島中央間に、新幹線「つばめ」号がデビューした。
 同区間は、博多と鹿児島中央を結ぶ九州新幹線鹿児島ルートの先行開業であり、当初は新幹線規格の新線に在来線車両を走らせる"スーパー特急"方式での着工であったが、後にフル規格に昇格したという経緯を持つ。博多〜新八代間の開業は相当先になるため、在来特急が直通できるスーパー特急方式の採用が現実的であったように思うが、地元からの陳情が実った形で、今回のフル規格での開業と相成った。地元の陳情と言っても、時短効果云々よりは工費がより増えて売上げが増す土建業者の意向を受けての様相が色濃く、JR九州にしても、車両整備に余計な出資が必要になるなど、決していいことずくめではなかろう。確かに大幅時短のインパクトは大きいだろうが、対面同一ホームでの乗換えの便が図られているとはいえ、新八代での乗換えを余儀なくされるのは、利用者にとっては負担である。時短効果よりも乗換えなしでの新在直通に重きを置いたミニ新幹線の山形、秋田両新幹線が堅調なことでも、それは明らかではないだろうか。
 批判話はその位にしておいて、九州新幹線の特徴を幾つか取り上げてみよう。使用される車両は、「つばめ」用に新たに製作された800系。従来のつばめの787系電車が、まさに燕をイメージしたダークグレーのボディだったのに対し、800系は白地に赤とゴールドのストライプが入り、屋根部分は先端が黒、それ以外は赤という彩りで、いわば"白いつばめ"だ。ノーズ部分と運転台横には、戦前の名列車であった"初代つばめ"の丸型トレインマークを模したイラストが入り、運転台後部とトイレ付車両のドアサイドには、ひらがなで「つばめ」、各車両中央にはローマ字で「TSUBAME」のロゴとスワローマークが描かれている。ロゴを多用するのはJR九州車の特徴にもなっており、形式によっては著しく美観を損ねたりもしているが、この800系に関してはそれ程ではないと思える。但しトイレ付ドアサイドのひらがなは、やや字体が大きすぎる感はあり、これを小さめにしておけば、よりすっきりとした印象になったのに、とも思う。また、スワローマークは、ノーズ部分に近いサイドライン先端部と、運転席窓のすぐ下、にも描かれており、これはなかなか洒落ている。
 一編成は6両のユニットで、グリーン車なし、普通車のみの編成だ。営業最高速度は260キロだが、車両の設計最高速度は285キロで、全線開業の折には、285キロでの運転が見込まれている。新八代〜鹿児島中央間の実キロは127.6キロで、この区間を途中ノンストップの最速タイプで34分、各駅に停車するもので47分で結ぶ。在来線の同区間は線形が悪い上に単線区間が多く、最速列車で2時間9分を要してしたのと比べれば、驚異的とも言える時短ではある。かように乗車時間が短いこともあり、新幹線では初めて全車両禁煙車となった。JR九州は、列車の禁・分煙化には会社発足当時からいち早く取り組んで来ており、禁煙車という考え方を廃し、基本的に列車は禁煙で、編成の一部に"喫煙車"を設けるという方針であったが、九州新幹線は、それをさらに一段階進めたかたちとなった。
 客室内の天井と壁は、外装同様白を基調として明るい雰囲気だが、インテリアは"和"のテイストが多く取り入れられているのが目を引く。デッキとの仕切り壁はクスノキ材、窓のロールブラインドは桜材をすだれ状に組んだもの、座席の背もたれとひじ掛けにも木材を使用し、クッション地にも西陣織の伝統色を配している。座席に木材を使用しているのは、JR九州の817系近郊型電車に先例があるが、他のJR旅客五社ではお目にかかったことがない。昭和47年に起きた北陸トンネル列車火災事故以来、鉄道車両は難燃化が進められた結果、インテリアに木材が使われることなど有り得ないのが常識となっていたが、技術の進歩で、木材の難燃加工も容易にできるようになったというなのだろう。一方、明るい客室内とは対照的にデッキは黒を基調としたインテリアで落ち着いた感じだが、トイレ内は一転して純白で、そのギャップが何とも言えないが、ともあれトイレが明るいのは良いことだ。洗面所は、カーテン代わりに、八代の特産物でもある、い草製の縄のれんが下げられている。ここまで"和"にこだわれば立派と言うべきか、やや度が過ぎていると取るべきか…
 沿線に目を向けると、今回の開業区間はトンネルが非常に多いことが特徴で、全線の実に69%に相当するという。これは、この区間が海岸沿いにわずかな平地しかないことに加え、トンネル掘削技術の進歩により、地上に用地を所得するより、トンネルを掘った方がトータルの費用では安上がりになることがままあることに起因しているようだ。これを単純に計算すれば、最速列車の新八代〜鹿児島中央間の所要34分中、約24分間はトンネルの中ということになる。もちろん、カーブによる速度制限や勾配による速度低下もあるのでこの通りにはならないだろうが、口の悪い客からは、
 「"つばめ"じゃなくて"もぐら"じゃないのか」
 といった陰口も聞こえてきそうである。ただ冷静に考えれば、鉄道乗車、しかもそれが高い居住性を誇る最新鋭の新幹線車両とあれば、30〜40分程度の乗車時間は瞬く間に経過してしまうはずで、トンネル云々を気にする間などないようにも思える。当の「つばめ」にしてみれば、言いたい奴には言わせておけ、ということに過ぎないかもしれない。
 九州新幹線今後最大の課題は、いかに早く博多〜新八代間を完成させ、東海道、山陽新幹線と一結びとなり、首都圏から南九州までをカバーする新幹線ラインを完成させることにあろう。現在の姿では、九州内での時短効果こそ誇れども、東海道、山陽新幹線の沿線をはじめとする本州の住民には、皆無とは言わないまでも、その存在感は限りなく小さいと言わざるを得ない。東京と鹿児島が一本に結ばれてこそ、限られた点と点を結ぶ航空機輸送に対し、線上での幅広い集客、降客が可能な鉄道輸送のメリットが、最大限に発揮されようというものだ。
 現実問題としては、博多〜新八代間の整備には七千九百億円という巨費が見込まれ、国と沿線自治体にはその重い負担が圧し掛かるのであるが、すでに多額の公費を注ぎ込んで末端区間を先行開業させてしまった以上、後戻りはできないし、せっかくのフル規格新幹線が、九州の南端に"閉じ込められて"いるのは、沿線県民のみならず、国民全体の「損失」でもある。一日も早い博多〜新八代間の開業を願わずにはいられない。
 一方この開業にともない、"並行在来線"である鹿児島本線の八代〜川内間はJR九州から経営分離され、熊本、鹿児島両県が出資した第三セクター「肥薩オレンジ鉄道」として再出発した。その一方で川内〜鹿児島中央間は、鹿児島市のベッドタウンとしての発展が著しく、新幹線開業とは無関係に通勤、通学需要が見込めるとして、JR九州が引き続き自社の路線とした。
 肥薩オレンジ鉄道で特筆すべきは、経費の徹底した削減のため、JR時代の電化を解除し、気動車による運行を選択したことで、これは並行在来線絡みの第三セクター鉄道として、初めての事例である。また、向こう十年間はJR九州が同鉄道に"出向"する形を取り、経費の圧縮を図るという。まったく異例づくめだが、"本線"と名の付く路線においても、ローカル輸送の実態は極めて厳しいことを物語っており、整備新幹線の工事が進められている沿線自治体にとっては、一つの教科書となり得る事例である。一方でJRによる「おいしいとこ取り」は認められているわけだが、採算の見込める区間も一体で肥薩鉄道に移管していれば、同鉄道の収益強化に貢献していたとも思われる。こういった問題も含め、整備新幹線並行在来線の扱いについては、抜本的見直しが必要な時期に来ているように思われるのだが。

 さて、この3月13日は、今を去る16年前の昭和63年、青函トンネルが開業した日付でもある。本州と北海道を鉄道で結ぶ、世界最長の海底トンネルが開業した、日本の鉄道史に残る記念日でもあり、記念列車の運転や、盛大な祝賀行事が行われても良いように思われるが、現実の青函トンネルは旅客輸送は低迷、大量の湧水を汲み上げるための特殊ポンプの交換費用が莫大な金額に上るなど、JR北海道にとっては"お荷物"とも言える存在であり、今年の当日も、粛々と列車が行き交うばかりであったようだ。
 一方北海道庁としては、国の公共投資削減政策で、北海道新幹線の工事路線への昇格が極めて厳しい情勢となったことを受け、現段階では敢えて札幌までの着工にはこだわらず、新青森〜函館間を東北新幹線と合わせて暫定開業へ、という方針に転じた。すでにフル規格対応で建設された青函トンネルがあり、同区間に限ってはキロ当たりの建設費が、他の整備新幹線区間より大幅に安いというメリットを強調するものだか、すでに工事の始まっている東北新幹線八戸〜新青森間と合わせ、せめて"入り口"までの整備には漕ぎ着けたい、との思惑のようである。
 だが最近になって、夜間の貨物列車ダイヤ過密の青函トンネルでは、深夜の2時間程度しか工事充当の時間がなく、費用面でのメリットは小さいのでは、という指摘も出てきた。さらに暫定開業に漕ぎ着けたとすると、江差線が並行在来線としてJR北海道から経営分離されることが必至となるが、JRと道、さらには沿線自治体との間で、この問題が真剣に議論されている様子は窺えない。肥薩オレンジ鉄道同様、過疎地の並行在来線維持には、関係自治体の出資も含め、多くの問題が山積している。それらを論じるには多大な紙幅が必要になりそうなので、また改めて取り上げる機会を持ちたいと思う。

 JR北海道管内においては、今回のダイヤ改正は、一部列車の時刻や編成の変更など、小規模なものであった。改正の柱が遠い九州、しかもその南端に開業した新幹線とあれば、それも当然といえば当然の話ではある。そんな中で話題になったのは、一日わずか1往復の普通列車が折り返すだけという希少さで、レイルファンには知られた存在であった石勝線の楓駅と、その1往復の普通列車が廃止されたことであろう。これにより同線の新夕張〜占冠間は、JR全線で最も長い駅間距離、34.3キロとなった。
 華々しく開業を迎えた南の新幹線に対し、北の小さな無人駅の廃止は余りに地味ではあるが、最終日となった前日12日午前には臨時のお別れ列車が運転され、地元住民とレイルファン二百人以上が乗り込んで名残を惜しみ、楓駅ホーム上ではささやかなお別れ式典も執り行われたことがせめてもの慰めか。全国版の扱いはわからないが、道内の夕刊各誌は、小さいながら写真入りでこれを紹介したものである。
 ダイヤ改正との関連はないが、JR以外では、道東の北見と池田を結ぶ第三セクター、北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線に対し、道は、会社側から求められていた財政支援を拒否、実質上のバス転換の方向性を打ち出した。旧国鉄池北線を引き継ぎ、道内では唯一の第三セクター鉄道として平成元年に発足した同鉄道だが、その後の過疎と少子高齢化のあおりで、輸送人員は発足当初の年間102万人から約半数の53万人にまで落ち込み、年間四億円を超える赤字を出し続けている。国鉄からの転換時に国から交付された転換交付金の一部を積み立てた経営安定化基金も、低金利のあおりで運用益が出せぬ状態での取り崩しが続き、2004年度中には底を尽く見込みという。そこへ来て道から財政支援を拒まれたことで、同鉄道が置かれた状況は、まさに"四面楚歌"と言えよう。
 一部では、ふるさと銀河線を高速化改良し、すでに高速化の完了している根室本線から同線経由で北見、網走への特急列車を走らせては、という研究も行われている。これは、旭川と北見、網走を結ぶ石北本線がまだ高速化されておらず、総延長の長い石北本線より、ふるさと銀河線を高速化する方が総費用で安く、札幌から北見、網走への高速化は同線経由で、というものである。これが実現されれば、線内通過客の運賃、料金収入によって大幅な増収が見込まれ、さらに幹線ルートの一部に組み入れられることにより、同線廃止の危機は遠のく、というものである。
 しかし仮にそれが実現すれば、今度は取り残されるかたちになる石北本線の存廃問題に波及しかねないので、あまり声高にはこの研究を語れないのだとも聞く。多くの過疎地を抱える北海道ならではの悩みであろう。 現実には、沿線自治体の一部にバス転換への難色を示しているところもあるとはいえ、最大出資者である道からの財政支援が望めない以上、もはや鉄道としての存続は望み薄である。道内から、また一つ鉄道路線が消えるとすれば寂しいことだが、過疎と少子高齢化という、短期的にはどうすることもできない抜本的問題を抱え、多額の赤字を垂れ流し、道や自治体の財政を圧迫するのであれば、それは止むを得ない選択肢なのかもしれない。
 しかしながら、南が"開業"という明るい話題で盛り上がる一方、北は廃止絡みの話題ばかりというのも、何やらやりきれなさを感じずにはいられない。新聞の見出しに、
「北海道新幹線、待望の開業」
の文字が躍るのは、果たしていつのことになるのであろうか…(完)


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 春は、始まりの季節、そして別れの季節とも言いますが、私個人的には、この春も含め、かなりの期間、春に何かが変わったり、新しいことを始めたり、ということはなかったように思います。ただそんな中、先日車を走らせていて豊平区美園を通りかかると、昭和61年から62年にかけて、言わば自身の"第一次北海道暮らし"の時に住んでいた「柴田荘」というアパートが、まさに取り壊しの最中でした。玄関共同式のアパートで、人のいい柴田さんという初老の夫婦が家主さんだったのですが、不意に、20年近く前の日々が懐かしく思い出されました。建て替えなのか、或いは柴田さんはどこかへ移ってしまったのかはわかりませんが、我が歴史の生き証人が一つ消えたことには、一抹の寂しさを禁じえません。
 その後、平成6年からの"第二次北海道暮らし"(現在に至る)で当初の1年強を過ごした東札幌5条4丁目の「コーポたけなわ」も数年前に洒落たアパートに建て替えられており、札幌でかつて住んだ建物は、二つとも姿を消してしまったことになります。こういう「春の別れ」があるとは、思いもよりませんでした。
 そして平成7年からは現在の「コーポ智」に住み続けているわけですが、当面は退去予定もなければ、その必要性も感じてはいません。昨年家主が代わり、その家主が一階にスゥイーツカフェを開くとかで、昨年秋以来様々な工事が続いています。築20年を超える建物だけに傷みも激しかったようで、外壁の塗り直しに始まり、ガスのプロパンへの取替え、配電線の交換なども行われました。ゆえにここが取り壊されることは、当分の間なさそうです。

 では、またお逢いしましょう。ごきげんよう!


 
 

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