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アコースティック・ユニット「美女と野獣」のあゆみ

1,前史

 昔々、まだサチコがこの世に影も形もなかった頃、一匹のスカンク*1が高校の先輩からギター*2をもらった。キットもので、クラシックギターとは名ばかりの安物。ただネックが細身なのが取り柄だった。何を血迷ったかスカンクは、その楽器にエレキのスーパーライト弦を張ってしまった。そして何処へでも持ち歩き、ろくに弾けもしないくせにジャカジャカ鳴らしながら、夕日に向かって吠えていたのだ。

2,発端

 それから幾十年か経ち、成獣となったスカンクは、巷では幼気な若者を誑かしては自分のバンド The Hot Watts に引き込む鬼畜として恐れられていた。サチコはその最後の犠牲者として数年前から囚われの身となっていたのだ。2004年の秋、そのバンドの集会*3があり、メンバーが多忙でままならぬ The Hot Watts での活動の代わりに、「正気の沙汰デーナイト」*4なる新たな集会をやることが提起された。スカンクには考えがあった。遡ること1年ほど前から、Mr.Fuji*5というバスカーに触発され、スライドギターの弾き語りを始めたものの、音楽的に行き詰まりを感じていたのだ。この集会をチャンスとみたスカンクは、サチコに声をかけた。「二人でアコースティック・デュオを組んで『正気の沙汰デーナイト』にでよう。」と。
 サチコは元来アコースティックなフィンガーピッカーとして、なにやら武蔵野方面で修行をしていたらしいが、スカンクのバンドではエレキギターという慣れない楽器を持たされ、戸惑いを覚えていたところであった。そこにスカンクの甘い誘いである。ふたつ返事で引き受け、『正気の沙汰デーナイト』主宰者の了解も得、かくして「美女と野獣」は生まれた。

3,初舞台

 こうして最初から演奏の場を得てスタートするという、幸運に恵まれた「美女と野獣」であったが、困難も数多かった。何といってもレパートリーがない。元々スカンクはブルース屋であり、サチコはカントリーテイストの強いギャロッピングを得意とする。選曲にてこずったが、サチコが持ってきた曲が「Candy Man」*6であった。スカンクはひらめき、直ちに日本語の詞をつけた。そして思ったより早く発表の機会はやってきた。スカンクがベースを担当している、厚木ファッツ・ブルースバンドの「幕間」で演奏できることになったのだ。

2004.11.13. SAT あっとぺっぷ

 若い女性客も多く詰め掛けた中、この実に奇妙な取り合わせのユニットが歌う「キャンディマン」が披露された。客席からは「エッチィ〜」の声。それを聞いて恥じらうどころか喜ぶサチコ。意外性のユニット、「美女と野獣」のデビューであった。

2004.12.4. SAT あっとぺっぷ「アコースティック・フェスタ」

2004.12.11. SAT guppy 「正気の沙汰でーナイト」

 その後2004年は、合計3度の演奏機会を得た。レパートリーが広がらないのには苦労したけど、「正気の沙汰デーナイト」では、「キャンディマン」に即興で詞をつけるなど、本番での強さも発揮、まずは順調な滑り出しといえよう。

<その2へ続く>・・・<その3><その4><その5>


*1 「スカンクは珍獣である」という説もあるが、ここでは野獣説をとる。
*2 この楽器は1981年の春、元町公園で花見の生け贄となった。
*3 通常グッピーと呼ばれる巣窟で行われる。
*4 The Hot Wattsのベーシスト、ブライダル福田たちが主宰するライヴパーティ。
*5 藤島晃一。スカンクはテレビで見ていたく感銘を受け、大枚をはたいてドブロを購入した。
*6 "I Blueskvarter - 1964, Volume Three" (JEFFERSON SBACD 12658/9)所収の、ベイブ・ストウォールの曲にヒントを得た。

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